自分の好きなものやことを否定されたら、必死で反論する?反論しなくて、そのまま流してしまってはどうでしょう・・・    私は北九州市が好きです

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自分の好きなものやことを否定されることってありますよね。

そんなとき、「そうじゃないよ!」と反論したくなりませんか?

その反論、しなくてそのまま流してしまうのはどうでしょうか?

※門司港にて

北九州市と言えば・・

大学に入学するまで、北九州市で育ち生活していた私。

北九州市に住んでいて怖いとか汚いとか、マイナスなイメージをもったことがありませんでした。

言葉も標準語を話していると自分では思っていました。(これは違いますが)

 

大学に進み、県外に出て生活しだしました。

そこで「北九州市出身です」と言うと、

「あ~あの怖い街ね」

「空気が汚いんでしょ」

「や○ざが、街にうろうろしてるんでしょ」

「北九州ナンバーの車の横に止めると、なにされるかわからない」

などなど・・

北九州市に対して、いい印象の言葉をくれる人は誰1人としていませんでした。

大学生のときはそれが嫌で、北九州市出身というのを途中から言わなくなりました。

自分が北九州市が嫌いというわけではなかったのですが、嫌なことを聞くのが嫌で・・・

そこで、「福岡出身です」と言うようになりました。

 

すると、周りの反応は・・

「あ~福岡いいよね~」

「行ってみたいな~」

「屋台がいろいろあるんでしょ」

「ばってん、○○たい、とか言うんでしょ」

「いろんなお店があっていいよね~」

などなど・・

なんと、プラスのイメージの言葉が次から次にあびせかけられました。

こんなにも違うのか~と驚いたのを覚えています。

 

しかし、これって、どれもこれも北九州市じゃないんですよね。

なんか違う・・・

これって、私の住んでいる街のことじゃない・・と思いながらも、

北九州市出身であることを言わないで大学時代を過ごしました。

 

大学を卒業して、北九州市に戻ってきてからは、

北九州市以外に住んでいる方からも、マイナスイメージの言葉をもらうこともありました。

そんなに悪い所か・・・?

まあ 仕方が無いのかな・・・と

 

自分が好きだったらそれでいいかな・・

今は、胸を張って「北九州市出身で、北九州市に住んでいます!」

と答えることができます。

だって、北九州市が好きだからです。

周りの人がどんなことを言ったって、この街が好きで生活しています。

それでいいんじゃないかな・・・と思えるようになったからです。

北九州市の良さがわからない人には、向きになって反論したところで、

否定的な見解を持っている人にわかってもらうのは難しい・・

まあ いいか・・と

北九州市の良さがわからない人がいるからといって、

自分が北九州市を好きなことは変わらないから・・

それでいいのかな、と思います。

 

自分の好きなことやもの、趣味、仕事、場所etc・・・

自分の「好き」を否定してくる人っていますよね。

知りもしないくせに、否定してきますよね。

しかも、人格否定までしてくる人っていますよね。

それに対して、自分が凹んでしまうこともあるかもしれません。

激怒して反論してしまうこともあるかもしれません。

 

でも、自分が「好き」だったらいいのかな・・・と思いませんか?

人が否定したからと言って、「好き」をやめるわけではないし・・

その人とは、自分の「好き」については話さない!と決めて、

自分の「好き」を大切にしてみてはどうでしょうか?

 

私は凹みやすいので、人の意見ですぐ凹んでしまうのですが、

「北九州市が好き」であることについては凹まないと決めてしまいました。

そうすると、マイナスなイメージのことを言われても、

凹んだりすることがなくなりました。

 

自分が「好き」であれば、いいと思いませんか?

理由はなくてもいいと思いませんか?

ただ「好き」

わからない人にはわからない。

じゃあ わかってもらえなくてもよくないですか?

自分の「好き」を大事にしてみませんか・・・

 

 

【足あと】

息子の卒業式の日をすっかり忘れていた一昨日。

その日に税務支援の仕事を入れてしまっていることに気づき、

交代してもらえる先生を探しました。

運良く、交代してもらえる先生が見つかりほっとした1日でした。

 

 

【昨日のにっこり】

税務支援を交代してもらえたこと

心置きなく、卒業式を迎えることができること

楽しい話ができたこと